ギャップ

「原爆は正しいものだと思う」。

 「原爆が落とされたおかげで戦争は早く終わり、多くの命が助けられた」。

 中学3年生の時、学校の研修旅行で訪問したオーストラリアで、同じ年の少女が話した言葉に私は強い衝撃を受けた。それまで、原爆について漠然とした考えしかなく、原爆は絶対悪だという考え以外に意識が及んだことはなかったので、そんな考え方をする人がいるのを知り、ただ困惑した。

 けれども、彼女が特殊なわけではない。日本では原爆は非人道的なもので、アメリカが一方的に悪く、日本は被害者だという意識がとても強い。だが、アメリカの主要シンクタンクの調査で、原爆投下は正当だったと考えるアメリカ人とイギリス人は5割で、誤りだと考える人は3割しかいない。彼女の意識の方が、実は世界で主流の考え方と言ってもいいだろう。

 戦争時の米軍の推計は、原爆投下せず対日戦争を続けた場合、少なくとも75万人の米兵が死傷し、戦争は1年以上長引いて日本人にも相当な犠牲者が出るとされていた。一方で、当時の日本軍は南京の大虐殺を引き起こした残虐な悪魔の軍隊であり、原爆投下は必要悪だというのが、世界の多くの人が抱くイメージでもある。

 もちろん、原爆は二度と使ってはいけない負の産物だが、こういう見方が世界にあることを知らない日本人は少なくない。けれども、世界の見方を知らずに、被害者意識だけで独善的に原爆を語るのが正しいこととも思えない。そして先の戦争で日本は加害者でもあったことを忘れてはいけない。原爆は、理由なき悲劇でもなく、当時の米軍も怪物ではないのだろう。考えは同意せず、理解するだけでいい。ただ知るということが大切なのだ。

 人間は持っている知識の中でしか考えられず、意見を述べることもできない。誤りや偏りのある知識は考えを独善的にする。だからこそ、客観的な広い視野と知識が必要だ。日本人は、原爆について知らなければいけないことが多くある。

函館ジャーナリズム

北海道教育大学 函館校の二年生による『地域プロジェクト』という活動の中で、函館市内のニュースをまとめました。

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